マンガが啓蒙する社会 -山形式『COPPELION』の楽しみ方-

 こんばんは。1ヶ月振りに日記を担当させて戴きます、甲南大学文学部社会学科4回生の入江由規です。いつもお世話になっております。今回は山形浩生さんの『新教養主義宣言』(1999(2007))のプロローグを参考にして、『ヤングマガジン』に連載中のマンガ、『COPPELION』(コッペリオン)の魅力と楽しみ方を紹介させて戴きます。

 
 山形さんの『新教養主義宣言』の中に、以下のような文章が登場します。

   単発の話では、その分野の専門家がいてある程度きちんとした話をしてくれる。そういうのや、さらにはいろいろな生活上・仕事上・あるいは単純な興味上でみんなが関心を持っている話題がブチブチとした形であちこちに散らばっている。それをうじゃうじゃとつなげていくこと。だって、ホントにつながっているのですもの。いま仕事でいっしょうけんめい計算しようとしている製薬業界の割引率を考えることと、人の失恋の悩みとに実は関係があるんだということを、僕は示してみよう。それがたぶん、人間の代謝機構とロールズの言う「正義」とも無関係でないことを示してみよう。そしてそれを一通りまとめて理解することが、たぶんいまの世界のありかたを理解するうえで大事なんだってことを、ちょっとこじつけ入ってもいいから説明してみよう。だって、関係あるんだもん。(山形 1999(2008): p41)

 私の拙い文章力と思考力では、山形さんの作品の魅力を10分の1も伝えることが出来ませんが、上記の文章は、たとえば現在のように、大学や自治体から自宅待機を命じられた時に、私たちが余暇を楽しむための一つのきっかけとなると思います。山形さんは同著の中で、四畳半のウサギ小屋的な狭さに閉じこもっている日本人の現実も、ものの見方を変えれば、それが可能性に満ちたものであることを啓蒙しようとしています。そして、その方法として採られているのが、一見関係しないように感じるものをつなげていくことで、新しい見解や発想が生まれる楽しみと、それまで興味のなかった分野に目を向ける面白みを、読者に提供しようとする方法です。

 山形さんが採られた方法は、マンガを読む楽しみを増やすことにもつながっていくと思います。その例として、『COPPELION』を読み方を検証してみることにします。

 『COPPELION』は『ヤングマガジン』に連載されている井上智徳(いのうえとものり)先生のマンガで、2009年5月22日現在、3巻まで単行本が発売されています。同書の内容を簡単に説明しますと、20年前の原子力発電所の爆発事故が原因で放射能に汚染され、死都と化した西暦2036年の東京で、取り残された(中には自主的に残った生存者もいますが……)命を助けようと三人の女子高生が送り込まれることになります。成瀬荊(なるせいばら)、深作葵(ふかさくあおい)、野村タエ子(のむらたえこ)。三人は自衛隊の特殊部隊「COPPELION-コッペリオン-」の一員として活動すべく、生まれつき遺伝子操作によって、放射能の抗体を持たされることになります。
 近未来の日本を舞台にした同作ですが、山形さんの「つなげる」思想を活用すると、あらゆる方面から同作を楽しむことが出来ます。たとえば、荊、葵、タエ子の三人は、それぞれ遺伝子操作によって、放射能の抗体を持たされて生まれています。そのため、放射能に汚染された場所であっても、防護服を着けることなく、普段の服装(女子高生の制服)で活動を続けることができます。したがって、取り残された人々から化け物扱いされ、彼女たち自身も、自分自身が人間にないことに傷ついていることがあります。コミックスでは第2巻に収録された第9話で、子どもを助けようとする荊が、子どもの母親から「まるで血の通っていない人形じゃない!」と拒まれたのに対し、「いいんです…どうせ動く人形なんやから」と涙を流す場面が、そのことを最も強く反映しているように思います。
 実はこの構成は、『電撃大王』で連載中の相田裕先生のマンガ『GUNSLINGER GIRL』(ガンスリンガー・ガール)とそっくりなところがあります。『GUNSLINGER GIRL』は、障害のある身体に「義体」と呼ばれる改造と薬物を投じられ、「条件付け」という洗脳により、反政府組織に対する暗殺をはじめとした諜報活動を担わされることになった少女たちの過酷な運命を描いたマンガですが、身体に障害をもち、過酷な運命を背負わされることになるという設定は、遺伝子操作によって、放射能汚染地域での人命救助を担わされるべく生まれてきた『COPPELION』の三人の女子高生たちと、傷を負わされ、けれども過酷な運命に立ち向かっていくという姿勢の点で似通ったところがあるように考えられます。このことから、先ほどの山形さんの「つなげる」思想を引用し、たとえば評論家宇野常寛さんが指摘する、自分よりも弱い(傷ついた)女性を所有しようとする「弱めの肉食恐竜」たちの好みの作品や嗜好を追究してみたり、あるいは新自由主義の社会を生き抜いていく姿勢を学び、人生の指針を決めていくことに視野を広げることが出来ると思います。

 また、『COPPELION』の語源となった『コッペリア』はフランスの喜劇的バレエ作品であり(原題は Coppélia, ou la Fille aux yeux d'émail)、孤独な人形職人コッペリウス博士が作った、きれいな目をした女の子の人形の名前が「コッペリア」となっています。このことから、『コッペリア』について調べたり、あるいは実際に『コッペリア』という作品を鑑賞してみたり、バレエそのものに興味を持ったりすることが出来ます。他にも、本作で原子力発電所の事故が起こった原因が東京を襲った大地震であると設定されていることから、地震大国に原子力発電所を建設すること自体が間違っているとする描写があちらこちらに登場し、このことより、関西電力がクリーンなエネルギーとして原子力発電を薦めていることと、福井県など自県に原子力発電所を抱える場所で暮らしている居住者たちとの苦悩とを比較し、原子力エネルギーの意義を改めて考え直すきっかけにもつながっていくと考えられます。さらに、科学に興味のある人や、これまで科学や理系分野に興味を示さなかった人も、ウランやセシウム、イオンやガンマ線など、同書に登場する用語をきっかけに、講談社ブルーバックスや各社の新書を手にとって、未知の領域を旅する楽しみを覚えることにもつなげられるかもしれません。つまり、たった一本のマンガでも、見方を変えれば、色々な楽しみ方をすることが出来るのです。


 如何でしたか?今回は『COPPELION』を題材に、山形浩生さんの『新教養主義宣言』の手法を用いて、様々な角度からのマンガの楽しみ方を提供させて戴きました。山形さんの「つなげる」思想を目一杯活用し、自分自身の人生を、どんどん豊かなものにしていって戴ければ嬉しいなと感じます。

 それでは今回はこのへんで失礼いたします。最後までお付き合い戴きまして、有難うございました。インフルエンザの騒ぎがまだまだ収まりそうにありませんので、お身体にはくれぐれもお気をつけくださいませ。今後とも宜しくお願い申し上げます。


 [参考文献]
宇野常寛, 2008,『ゼロ年代の想像力早川書房
山形浩生, 1999,『新教養主義宣言』晶文社(本稿では2007年発行の河出文庫版を使用)

 [インターネット]
YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page, http://cruel.org/jindex.html(2009.5.22(アクセス日))